田中彩子:音楽と一緒に生きていくために必要だったのが歌だった4
音楽と一緒に生きていくために必要だったのが歌だった」研修旅行で行ったオーストリア?ウィーンで、ウィーン在住の宮廷歌手ミルカーナ?ニコロヴァの元で行われる講習(xí)會に參加し、「本気でヨーロッパでオペラ歌手になりたいのなら、今すぐウィーンに來なさい」という言葉をもらい、高校卒業(yè)後、すぐにウィーンに渡った。右も左もわからないウィーンで、彼女の心の支えになったものはやはり「歌」だったのだろうか。 「3歳からやってきたものを全部捨てて、ゼロから新しいことを始めるのであれば、ベストなところでやりたいとシンプルに思いました。ゼロから始めるのは大変だし、それが日本だろうが違う國だろうが、ちょっと苦労が増えるかもしれないけど、私の中では全く一緒でした。私、歌が好きで、みたいな感じでは正直ないというか。當(dāng)たり前の存在の音楽に対して、ずっとそばに居てほしいという感覚です。そこから離れることはちょっと想像できない。嫌いな部分もあるし、本當(dāng)に好きで仕方ないっていうよりは、嫌な部分も知っているし、別に毎日じゃなくてもいいやっていう時もあるけど、でもやっぱりいつもあってほしい、そういう存在なんです、音楽自體が。で、私はピアノを諦めた時點で、私にはもう歌しか殘っていなくて、音楽と一緒に居続けるためには歌しかその時選択肢がなかった。という言い方をすると、ちょっとネガティブに感じるかもしれませんが、私が音楽と生きていくには、それしかもうなかったので。私はもうそれにしがみついて、何とか振り落とされないように生活していた、という方が正しいかもしれません。だから、好きでっていうよりは、音楽と一緒に生きるために必要だったのが、歌だったということです。ミルカーナ?ニコロヴァの言葉は、藁にもすがる思いというか。彼女がもしかしたら、とんちんかんなことを言っているかもしれないけれど、一人でもそう言ってくれる人がいるのであれば、私はそれを信じるしか光がなかった。その光が偽物だったとしても、そこに進(jìn)むしかないというか、そういう気持ちでした」。 「どうせなら難しいところからチャレンジしたいタイプで、コツコツというよりいきなりてっぺんから攻めるタイプです」という、田中の性格と両親の理解もあり、迷うことなくクラシック音楽の本場?ウィーンへの単身留學(xué)を決斷した。強(qiáng)さとしなやかを併せ持つ人間力が、武者修行を有意義なものにした。そして、しがみついてでも「やり続けることの大切さ」を同時に教えてくれた。 世界中からトップが集まるウィーン。本場のヨーロッパの観客は、最初はアジア人、日本人がどこまでできるんだろうという、穿った見方をしていたが、田中にはそれを覆す圧倒的な実力があった。 「根本的に別にどう思われようがいいっていう感じが、いつも心の中にあって、自分の大切な人たち、いつも來てくれるお客さんとか、そういう方たちが喜んでくれる方が嬉しいです。私の聲を好きで応援してくれている人たちの方が大事なので、もしその人たちが「今日のパフォーマンスはちょっと…」と納得してもらえていないのであれば、それはちゃんと耳を傾けるべきだし、どっちを大事にするか、どっちに耳を傾けるかってすごく大事だと思っていて。色々な意見があると思うので、それを全部聞いていたら潰れてしまうと思うし、自分が信頼する人、もしくは大切に思う人たちをメインと思ってやってきたからこそ、ずっと続けてくることができたと思っています」。 |